昭和の名力士3
昭和の名力士シリーズ第3弾です!
今回取り上げられている力士はこの3人の横綱です!
第45代横綱 初代 若乃花 幹士
土俵の鬼と呼ばれた横綱です。(向かって右は第44代横綱栃錦)
映画化される程の人気を誇っていました。
大関昇進は三場所通算28勝と今では到底考えられない昇進ですが、横綱千代の山と引き分けた大相撲が高く評価され、大関昇進となりました。
その後横綱にまで登り詰め、第44代横綱栃錦と栃若時代を築く程の名力士となりました。
三場所通算成績がどの程度かというのは勿論ないがしろにしてはいけませんが、多少成績として物足りない部分が仮にあっても、内容を評価し昇進させ、成功することがあるという良いお手本だと思います。
自分の息子がちゃんこ鍋をかぶり火傷のため亡くなるなど、土俵内外でのストーリーに富んだ力士でもありました。
栃若時代のハイライトは横綱全勝同士の結びの一番だったでしょう。
大関貴ノ花の実兄、第65代横綱貴乃花と第66代横綱三代目若乃花の叔父としても有名ですね。
引退後は年寄二子山として二子山部屋を興し、前述の大関貴ノ花の他、第56代横綱二代目若乃花、第59代横綱隆の里、大関若島津など多くの名力士を育て上げました。
第47代横綱 柏戸 剛志
次に述べます大鵬と共に、高度経済成長期の日本の土俵を支えた名横綱です。
大鵬と共に横綱に昇進しましたが、直前三場所に限ると33勝というとても低い成績でした。補足しますが、大関としては好成績を収めています。
大鵬との同時昇進は話題作りの面は否めませんが、大鵬との対戦成績があれだけ競っているのは柏戸のみです。
決して実力なかったわけではないと思います。
ですが、現実は大鵬程の安定した成績はなかなか残せず、幕内最高優勝は5回に留まりました。
相次ぐ怪我、糖尿病の影響もあった様です。
この時代を僕は生きてはいませんが、先人たちの話を見聞きすると記録より記憶に残る力士だったのではないでしょうか。
第48代横綱 大鵬 幸喜
巨人、大鵬、玉子焼きの昭和随一の大横綱大鵬です。
ロシアとのハーフでもあり、その容姿・実力が相まってとてつもない人気でした。
しかし、横綱として優勝を重ねていくと土俵に期せずしてマンネリ感が出てしまい、相撲人気が低迷しかかったこともあるみたいです。
負けない横綱として君臨していました。
白鵬に破られるまで幕内最高優勝32回の記録を誇った大横綱です。
引退後は一代年寄大鵬として、大鵬部屋を開きましたが若くして脳梗塞を患い、十二分に弟子の指導ができなかったようで、とても悔やまれます。
平成の世まで、大横綱としての威厳を保ち続けました。
昭和の名力士シリーズその3でした!
次回に続きます。
昭和の名力士2
昭和の名力士シリーズ第2弾です!
パッケージの裏側です。
戦後復興期から高度経済成長期に入る前までの時代を支えた力士たちですね。
このころの日本はどうやって復活していったのでしょうか。
大相撲の世界は領国から蔵前へ国技館が移転し、四本柱がなくなり吊り屋根しきになるなどの変化が起こった時代です。
またそれぞれの力士を簡単にご紹介させていただきます!
今回取り上げられている力士はこの5人の横綱です!
第41代横綱 千代の山 雅信
知られざる(?)道産子横綱第一号です。
いわゆるソップ型の力士ですね。
つっぱりの威力はすさまじかったと伝えられています。
新入幕の場所に10戦全勝を遂げるなど、早くから大器として期待されていました。
しかし、当時の横綱が不振だった煽りを受け、連覇を果たすも横綱へ推挙されなかった経験もあります。
横綱昇進後も成績不振が続き、横綱返上を申し出るなど苦難の道を歩んだ横綱です。
ですが、晩年には全勝優勝も遂げ、横綱の栄誉を守ります。
引退後は出羽海部屋から破門される形になりながらも九重部屋を創設し、横綱北の富士を育てました。
九重部屋は千代の山⇒北の富士⇒千代の富士⇒千代大海と連綿と続いています。
第42代横綱 鏡里 喜代治
優勝掲額の画像ですね。
つい最近まで、優勝額は手書きで彩色されていました。(しかもお一人の方がやられていたそうです)
見事な太鼓腹、千代の山と好対照にアンコ型力士の代表とも言えるでしょう。
双葉山の興した時津風部屋の力士です。
鏡の文字は入門当時の師匠元大関鏡岩の鏡です。
双葉山譲りの右四つの方がありました。
土俵入りも何となく双葉山の面影を感じさせるものでした。
4回の幕内最高優勝を果たしています。
満80歳まで長生きされました。
第43代横綱 吉葉山 潤之輔
吉葉山も北海道出身の力士です。
兵隊にとられ、一時は戦死したとの情報が流れるも無事に生還。
がりがりにやせ細った身体を元に戻すため、胃袋と名付けられるくらい食べたそうです。
好成績を幾度も残しながらもなかなか優勝できず、初優勝は全勝優勝で横綱昇進を決めました。
雪のパレードは白黒映像でもその喜びや感慨が伝わるほどです。
横綱昇進後は高齢でもあり、思うような成績は残せず、幕内最高優勝は成し遂げられませんでした。
兵役や優勝を幾重にも逃すなど、悲劇の横綱とも言われました。
角界きっての美男子としても有名でした。
引退後は高島部屋を興し、数多くの関取を育て上げました。
第44代横綱 栃錦 清隆
現在の両国国技館を建設した春日野理事長こと、元横綱栃錦です。
番付を上げていった頃はこの写真の様なアンコ型ではなく、がりがりの身体でした。
業師としてしられ、数々の珍手を残しているそうです。
7連敗の後の8連勝で勝ち越したこともあります。
大内山を投げ飛ばした首投げは鮮やかです。
横綱昇進後は徐々に体重増加、若い頃とは全く異なる横綱相撲に変化していったそうです。
初代若乃花と栃若時代を築きました。
今回も5横綱の写真です。
栃錦の昇進に呼応して東富士が引退したため、番付には5横綱が載ったことはありません。
豪華絢爛ですね。やっぱり横綱姿は見ているものを魅了します。
第46代横綱 朝潮 太郎
胸毛の朝潮というとわかると思います。
その男性的な風貌をもった力士でした。
高砂部屋伝統の朝潮を名乗っています。
当然映像での取り組みしか見たことがありませんが、大きな体であるのにしっかりと腰を割って寄り押し立てるその姿は、相手力士にとって脅威だったと思います。
引退後は高砂部屋を継承し、大関小錦を育てました。
以上横綱達のご紹介でした。
戦後黎明期を支えた横綱、どの横綱にも様々な物語があります。
もしかすると取り組みの激しさ、土俵の充実という点ではこの頃が一番だったかもしれません。
昭和の名力士1
最近趣味がすごく偏っていることに気が付いたプロの独身です笑
話が合う人は親や祖父母世代です。
さて、昭和の名力士をみなさんにご紹介しようと思いましたが、これがなかなか難しい。
その力士を挙げるかって取捨選択はそんなに簡単なことではありませんでした。
そこで、NHKから出ていた名力士シリーズからご紹介すると、漏れなく伝わるかと思いご紹介します!(DVD作品ですが、実際はVHSで1990年代初頭に出た作品です。)
まずは第1巻から!
思いっきり白黒写真なことからわかるように相当昔です!
戦前・戦中・戦後の相撲界を背負って立った横綱たちの物語です。
第35代横綱 双葉山 定次
いわずもがな、不滅の69連勝を残した史上最強横綱でしょう。
戦時中であり、常勝日本軍の象徴ともされ、爆発的な人気を誇ったとのことです。
双葉山がどのような気持ちでそんな象徴とされていたかは、時代背景が全く違う現代を生きる我々には想像もできません。
映像として残っている、それだけでありがたいことでしょう。
土俵入りは今の型とは若干違いますが、その優雅さ華麗さは誰にもまねできるものではないと思います。
現役時代を生で見てみたかったです。
第36代横綱 羽黒山 政司
双葉山の陰に隠れてしまっていましたが、A級横綱であることに間違いありません。
今の様に年6場所制であれば、もしかすると優勝20回、一代年寄レベルの横綱だったかもしれません。
双葉山と同じ立浪部屋です。
その胸板は鋼の様な筋肉でできており、相手力士が頭で当たった時には激痛が走ったそうです。
二度のアキレス腱断裂を乗り越えた不屈の横綱でもあります。
第37代横綱 安芸ノ海節男
“芸”の字は本当は旧字体です。
双葉山の70連勝を阻んだ男、それがこの力士の最高の勲章でしょう。
引退後もそれを大変誇りとされていたそうです。
一方皆勤負け越しも経験するなど、横綱としては目立った成績は残せずじまいでした。
双葉山の連勝を止め、名門出羽海部屋の名誉を保ちました。
第38代横綱 照國萬蔵
当時の史上最年少横綱です。
桜色の音楽と形容されました。白い肌が紅潮し、その動きがリズミカルだったことによるものだそうです。
全盛期が終戦の混乱の時期と重なり、若くして横綱に栄進するも、時代の煽りを受けた悲劇の横綱の一人だったかもしれません。
晩年に全勝優勝を果たしました。
第39代横綱 前田山英五郎
現代の昇進基準ならば横綱にはなれなかったかもしれません。
横綱としては目立った成績はなく、休場中の野球観戦が発覚し引退となった横綱でした。
横綱昇進時も振る舞いに問題ありと但し書きがされていたそうです。
引退後は年寄り高砂として、数々の名力士を育て上げた名伯楽でした。
第40代横綱 東富士欽壱
双葉山から目をかけられるなど、若い頃から注目の力士だったようです。
怒涛の寄り身と形容される寄りが持ち味だったようです。
引退後は協会には残れず、プロレスラーとしても活動したそうです。
確か照國が引退したので番付上に5横綱が載ったことはないはずですが、写真としては5横綱勢ぞろいがあります。
綱を締めた力士が5人というのは本当に壮観です。
4横綱時代の到来!平成3組目!
稀勢の里が横綱に昇進し、お祝いムードもひと段落した感がありますね。
それでもニュースでは稀勢の里の今までを振り返る特集が頻繁に組まれたり、あるいはこれからの稀勢の里がどうなるか、そんな記事を目にすることがよくあります。
過去のことを振り返るのも面白いですが、過去は過去です。
そして今後どうなるかなんて予想はできますが、現実どうなるかなんて予想の斜め上をいくものですよね。
他人の好き勝手な意見に心惑わされることなく、稀勢の里には自分に対して良い意味で自信をもって、どうだ!俺は実力があって横綱になったんだ!という成績を残してもらいたいです。
稀勢の里が引退するその日まで、僕は全力で、テレビの前になりますが応援し続けたいと思います!
さて、4横綱時代が到来しました。
4横綱時代は平成に入ってから3組目ですね。
一組目は千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士。
二組目は曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸。
そして今回三組目は白鵬、日馬富士、鶴竜、稀勢の里。
4横綱が綱を締めて一緒に写真を撮る姿は本当に壮観です。
今回相撲協会ホームページよりお借りし、4横綱それぞれの横綱姿を見てみます!
第69代横綱 白鵬 翔。
言わずもがな、大相撲最強の力士の一人として挙げられる大横綱です。
もう10年近く横綱を張っていますので、横綱姿も堂に入ってますね!
不知火型の土俵入りをご自身でだいぶアレンジされていますが、もっと両手を広げた時の力強さを出す土俵入りにしてほしかったなぁ。
また、近年は明らかに馬力の衰えがありますね。
横綱10年、北の湖もそうでしたが人間の限界が10年なのかもしれません。
第70代横綱 日馬富士 公平。
小さい体ながら鋭すぎる、まさに弾丸の様な立ち合いはテレビで見ていても破壊力が伝わってきます。
惜しむらくは土俵入りの両手の広げ方にメリハリがないこと、前傾姿勢すぎるきらいがあることでしょうね。
体は小さいですが(あくまで力士として、横綱として見た場合です)、腕が長いと思うんですよね。
白鵬とがっぷり四つになってもある程度相撲になるのはこの長い腕を巧く使えているからなのではと思っています。
第71代横綱 鶴竜 力三郎。
土俵上からも気持ちが優しい力士なんだろうなと感じます。
土俵入りもどうだという気の強さはあまり感じませんね。
井筒部屋伝統の差し身の技術は天下一品です!
双差しがうまいと感じるのは元関脇琴錦以来かなと思います。
もう少し気持ちが強ければ成績も安定しそうですが、先場所を見る限り昨年の九州場所の優勝が最期の見せ場だったと感じます。
そんな見方を良い意味で裏切ってほしいです。
第72代横綱 稀勢の里 寛。
登場しました、新横綱です!
太鼓腹の横綱姿は貫禄十分です。
4横綱の中で一番綱を締めた姿が力士として似合っていると僕は思います。
横綱になって良い意味で自信がついたと思うので、例え期間は短くても稀勢の里時代到来を期待します。
改めて横綱姿を見るとカッコよいですね!
力士の最高峰、番付の頂点だけあります!
3月場所の4横綱揃い踏みの土俵入りが楽しみです!
祝!100件の投稿!
当ブログは1月6日にスタートさせました。
なんとか1ヶ月で100件の投稿を目標にしていましたが無事達成することができまきた!
コメントを残してくださったり、星をつけてくださったり、読者になってくださったり、色々励みになることが多かったです!
ありがとうございました🌟
トータルのアクセス数は2000程度とビギナーブログですが、これからもよろしくお願いします!
次は150件の投稿を目標に頑張ります!
たられば
今週のお題「私のタラレバ」
今回はお題にのってみようと思います。
あの時こうしていれば…、その時そんなことしていなければ…
人って多かれ少なかれそんな思いに惑わされることってありますよね。
僕は、あの時もっと勉強しておけばとか、練習しておけばとかあんまり感じたことないです。
学生の頃、テストに失敗したことも数度ありましたが、あれしか勉強しなかったから仕方がないねー
くらいで終わってました。
まぁ再試がありますからね😅
運動神経は下の上というのがよくいえたレベルでした。部活に入部した頃よりも上達や強くなれればそれで満足でした。
そんな欲があまりない僕ですが、物欲だけは人一倍あります。
寂しがり屋なんですかね?
社会人になってからは、自分の欲しいものは片っ端から買ってみたい!
それが強かったです。
そして、お給料の殆どを、その時々の自分の中での流行りのものに費やしてきました。
一番出費したのは、お恥ずかしながら、玩具コレクションです。
特撮大好きなので、ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊のものを片っ端から集めました。そしてお金が無くなったら売り払う。
手に入ればそれで満足なんですね🤣
今は一番持っていた時を10とすると、1割ないくらまで手放しました。う〜ん、手に入れる必要あったかな?
今はスーパー戦隊のロボは2つと仮面ライダーの変身ベルト数個に落ち着けました。
次回作のキュウレンジャー関係は手を出さない様にしたい…
他には映画やドラマのDVD-BOXやBlu-ray-BOXを大人買いしまくってました。
はっきり言って観ないで売却したものも多々あります。
これもその時は所有した満足感が大切だったんですかねぇ。
今は洋服ブームです。
これは色んなものが揃い過ぎて満足かな…。
消耗品なので、いつか使うでしょう😎
他にも漫画ブームがあって、全巻大人買いもしてました。
ブックオフに大量に売却しました。
そんなに良いお金にはなりませんでした。
結論は、お金の使い道をうまくできる様になりたいってことですね!
申告期間前ですが、確定申告をやりました所…
追加徴税がΣ(゚д゚lll)
しかも予想外の金額でした😭
引越しもあるし、車検もあるし、年度末は出費が半端ないです😣
そして、住民税も襲ってきます…
物欲も落ち着いたので、今度は貯金欲に登場して欲しいです🤑
大相撲 名脇役 その1
ほしこんにちは!
大相撲ネタで今回は書いてみようと思います。
大相撲の人気力士というのは二通りあると思います。
一つは強さでの人気力士。
横綱や大関がそれにあたりますね。
もう一つはその個性で人気を博す力士。
関脇以下の名脇役と呼ばれる力士たちのことですね。
大相撲の力士は山ほどいますし、それぞれに個性を持っているものです。
その中で僕が好きな名脇役を今回は5人ほど挙げてみようと思います。
思いついた順なので、時系列はバラバラです。
小結 舞の海 秀平(出羽海部屋)
言わずもがな、今ではNHKの解説でお馴染み、向正面の舞の海さんですね。
僕が相撲を実際に見始めたのは、1995年からだったと思います。
この頃の舞の海さんは、左肘を痛めたり、小錦戦で膝に大怪我をするなど満身創痍の身体で戦われていた晩年でした。
その中でもあのキレ味の良い切り返しには毎回興奮したものです。
関脇 鷲羽山 佳和(出羽海部屋)
前出羽海部屋師匠ですね。
現役時代にはちびっ子ギャングなどと言われていたようです。
身体は小さいですが、とっても激しい相撲を取ります。
関脇 琴錦 功宗(佐渡ヶ嶽部屋)
史上初の二回の平幕優勝を遂げた力士です。
F1相撲と呼ばれた速さが特徴ですね。
僕が見ていたころの琴錦はF1相撲と呼ばれていた頃の馬力という点では、全盛期を過ぎていましたが、双差しとなっての巧さが光っていました。
確か二回目の平幕優勝の時だったと思いますが、貴乃花を双差しで破った相撲は素人なりに興奮して見た記憶があります。
関脇 麒麟児 和春(二所ノ関部屋)
今の北陣親方ですね。
現役の頃は突っ張りが特徴の力士でした。
これは相撲好きの間では有名な取り組みなのですが、天覧相撲の時です。
高砂部屋の富士櫻との激しい突っ張りあいは見ごたえ抜群でした。
最後は麒麟児が上手投げで勝つのですが、両者の一歩も引かない、小手先での勝負にこだわらないアツい取り組みでした。
突き押し相撲同士の名勝負です。
新入幕 宇良 和輝(木村瀬平=木瀬部屋)
最後にご紹介するのは今話題の宇良です!
この力士の異能っぷりは学生相撲で培われたものでしょう。
恐らくプロでいきなり入っていたらこの相撲は認められなかったと思います。
スピード出世にはびっくりしました。
木瀬親方もあまり型にはめた指導をしてないのだと思いますが、柔軟な姿勢で良いですね。
石浦との取り組みが見てみたいです。
以上、他にもご紹介したい力士はいるのですが、5人挙げてみました。
今度動画などもアップしようと思います!
悲報 元小結時天空の間垣親方が亡くなられました。
悲しいお知らせです。
元小結時天空の間垣親方が亡くなられました。
協会の業務もされるなど元気になられたのかと思っていました。
心よりご冥福お祈り申し上げます。
伝説の名勝負その2 昭和53年3月場所7日目 西前4枚目魁傑対大関 旭國
久方ぶりの伝説の名勝負シリーズです。
今回は魁傑対旭國のまさしく死闘をご紹介します。
魁傑
旭國
今は押し相撲全盛時代ですので、昭和の頃の様なガップリ四つでの吊り合いや水入りの相撲は年に数回あるかないか程度ですね。二番後取り直しなどはもはやそんなことあるのか状態ですね😂
水入りと言っても面白い水入りと面白くない水入りがあります。
ただ守ってばかりの水入りはダラけるだけです。
前回の輪島対貴ノ花のあの寄り合いは凄まじかったですよね。
今回の魁傑対旭國は、お互いが120%の力を出し切っていることがよく分かります!
動画はこちらです。
最後には、魁傑の引きつけに対し、旭國の腰が徐々に伸びていき、すくい投げで勝負ありなんですが、投げられた後の旭國の精も根も尽き果てた様子が忘れられません。
また、そんな旭國を起こしてあげる魁傑の紳士ぶりも、これこそ様式美を重んじる我が日本の国技と言える部分でしょう🇯🇵
実は、自分もなんちゃってなんですが、学生時代に相撲をやっておりまして、こう見えて国技館で相撲とったこともあります😝
身体が小さい力士が、自分より大きい力士に胸を合わせられると本当に動けず、苦しいんです。
旭國は力士としては大変小兵な部類です。魁傑は大きな身体ですので、あの身体であれだけの大相撲をした旭國という力士の地力が分かります。惜しむらくは、後一回り身体が大きければ…というところでしょう。
二度も水入りが付かないくらいの白熱の大相撲10分後取り直し。
そんな熱い名勝負が再びみられる日は来るのでしょうか。
稀勢の里 奉納土俵入り!
※1月28日更新
本日、稀勢の里の新横綱としての明治神宮前奉納土俵入りが行われました。
18,000人もの方が見に来られたそうです。
稀勢の里への日本国民の期待の大きさが分かりますね!
肝心の土俵入りですが、身体の大きさを生かした土俵入りで僕は良かったと思います。
せり上がりに入る所ではしっかり腰が割れていますし、白鵬や日馬富士の様に極端な前傾姿勢にもなっておらず姿勢も良かったです!
見に行きたかったなー(´Д` )
あれで右腕を出した時に脇がキュッと締まればもっとカッコ良くなりますね!
本場所で土俵入りを重ねるごとに稀勢の里らしい土俵入りを見せてくれることでしょう!
ネットで拾いました写真です!