昭和の名力士1
最近趣味がすごく偏っていることに気が付いたプロの独身です笑
話が合う人は親や祖父母世代です。
さて、昭和の名力士をみなさんにご紹介しようと思いましたが、これがなかなか難しい。
その力士を挙げるかって取捨選択はそんなに簡単なことではありませんでした。
そこで、NHKから出ていた名力士シリーズからご紹介すると、漏れなく伝わるかと思いご紹介します!(DVD作品ですが、実際はVHSで1990年代初頭に出た作品です。)
まずは第1巻から!
思いっきり白黒写真なことからわかるように相当昔です!
戦前・戦中・戦後の相撲界を背負って立った横綱たちの物語です。
第35代横綱 双葉山 定次
いわずもがな、不滅の69連勝を残した史上最強横綱でしょう。
戦時中であり、常勝日本軍の象徴ともされ、爆発的な人気を誇ったとのことです。
双葉山がどのような気持ちでそんな象徴とされていたかは、時代背景が全く違う現代を生きる我々には想像もできません。
映像として残っている、それだけでありがたいことでしょう。
土俵入りは今の型とは若干違いますが、その優雅さ華麗さは誰にもまねできるものではないと思います。
現役時代を生で見てみたかったです。
第36代横綱 羽黒山 政司
双葉山の陰に隠れてしまっていましたが、A級横綱であることに間違いありません。
今の様に年6場所制であれば、もしかすると優勝20回、一代年寄レベルの横綱だったかもしれません。
双葉山と同じ立浪部屋です。
その胸板は鋼の様な筋肉でできており、相手力士が頭で当たった時には激痛が走ったそうです。
二度のアキレス腱断裂を乗り越えた不屈の横綱でもあります。
第37代横綱 安芸ノ海節男
“芸”の字は本当は旧字体です。
双葉山の70連勝を阻んだ男、それがこの力士の最高の勲章でしょう。
引退後もそれを大変誇りとされていたそうです。
一方皆勤負け越しも経験するなど、横綱としては目立った成績は残せずじまいでした。
双葉山の連勝を止め、名門出羽海部屋の名誉を保ちました。
第38代横綱 照國萬蔵
当時の史上最年少横綱です。
桜色の音楽と形容されました。白い肌が紅潮し、その動きがリズミカルだったことによるものだそうです。
全盛期が終戦の混乱の時期と重なり、若くして横綱に栄進するも、時代の煽りを受けた悲劇の横綱の一人だったかもしれません。
晩年に全勝優勝を果たしました。
第39代横綱 前田山英五郎
現代の昇進基準ならば横綱にはなれなかったかもしれません。
横綱としては目立った成績はなく、休場中の野球観戦が発覚し引退となった横綱でした。
横綱昇進時も振る舞いに問題ありと但し書きがされていたそうです。
引退後は年寄り高砂として、数々の名力士を育て上げた名伯楽でした。
第40代横綱 東富士欽壱
双葉山から目をかけられるなど、若い頃から注目の力士だったようです。
怒涛の寄り身と形容される寄りが持ち味だったようです。
引退後は協会には残れず、プロレスラーとしても活動したそうです。
確か照國が引退したので番付上に5横綱が載ったことはないはずですが、写真としては5横綱勢ぞろいがあります。
綱を締めた力士が5人というのは本当に壮観です。