昭和の名力士4
昭和の名力士シリーズ第4弾です!
今回は柏鵬時代から北玉時代の5人の横綱が取り上げられています。
各々に魅力溢れる横綱でした。
第49代横綱 栃ノ海 晃嘉
春日野部屋伝統芸能と言っても過言ではない相撲が上手い力士でした。
身体はとても小さく、全盛期でも体重は110kgしかなかったそうです。
とても向こうっ気が強かったとのことで、柏鵬の様な大型力士にも真っ向勝負を挑み続けました。
横綱昇進後、一度幕内最高優勝を遂げますが、その後は怪我があり低迷、3場所連続8勝7敗と
横綱としては苦しい土俵が続きました。
引退後は長らく春日野部屋付きの親方でしたが、栃錦の跡を継いで名門春日野部屋の師匠となりました。
存命横綱としては最古の横綱となります。
第50代横綱 佐田の山 晋松
名門出羽海部屋の力士です。
当時は柏戸・大鵬という大型二大力士が土俵に君臨しており、この壁を破ることは容易なことではありませんでした。
身長はありますが、スラっとしたいわゆるソップ型の力士で、突っ張りを得意としていました。
平幕優勝を遂げた力士として、初めて横綱まで登り詰めた力士です。
闘志みなぎる土俵姿でした。
横綱として二場所連続優勝をとげた次の場所に潔く引退し、出羽海部屋の師匠となりました。
後に、相撲協会理事長も務めました。
第51代横綱 玉の海 正洋
戦後の相撲歴史の中で、最も悲しいお話の一つです。
現役横綱として、最も充実した全盛期にまさかの現役死となってしまいました。
柏鵬の次の時代を担う力士として、北の富士と横綱へ同時昇進します。
成績としては若干物足りない面もありましたが、有識者からは二場所連続優勝の北の富士より期待される声もあり、実際成績は北の富士のそれを凌駕するものでした。
虫垂炎手術後の肺塞栓症のために亡くなられました。
御存命であればどんな時代、どんな歴史を紡いだのか、残念でなりません。
第52代横綱 北の富士 勝昭
玉の海とともに横綱へ昇進しました。
成績にはとてもムラがあり、全勝優勝の次に8勝、そしてまた全勝優勝を成し遂げたこともあります。
現在はNHK大相撲解説者としてお馴染みですね。
いちお茶の間の意見の様で、時折爆弾発言⁉️してしまうそのお話は聞いていて飽きることがありません。
玉の海の死後は人が変わった様に衰えてしまいました。
北玉時代は短かったですが、大鵬からその主役のざを奪い取った輝いた時代でもありました。
第53代横綱 琴櫻 傑將
桜が満開になるのにとても時間がかかった、遅咲きの横綱です。
大関在位が32場所でした。
そのぶちかましたの押し相撲は破壊力満点でした。
横綱としての在位はとても短かったですが、一花咲かせた土俵人生には価値があると思います。
また、引退後は佐渡ヶ嶽部屋の師匠としてたくさんの関取、多くの名力士を育て上げました。
以上、昭和の名力士第4弾でした!
続きます!