昭和の名力士6
昭和の名力士シリーズ第6弾です!
今回はその人気、その時代に与えた影響が別格に近い二人の力士です!
第58代横綱 千代の富士貢
昭和50年代中盤以降、ウルフフィーバーと呼ばれる一大ブームを巻き起こしました。
ウルフのニックネームは師匠である元横綱北の富士が命名されたそうです。
千代の富士は骨格の作りとして型の関節が外れやすい、脱臼しやすい体質だったそうです。
若いころは体は細く小さかったのですが、相手を引っ張り込んで投げを打つ、大きな相撲をとっていました。
そんな体格に似合わない相撲が脱臼の一因にもなったとされています。
その脱臼を克服するため行った、開眼したことがあります。
一つは千代の富士の代名詞ともいえる肩の筋肉ですね。
力士とは思えないようなあの三角筋から上腕二頭筋・上腕三頭筋の盛り上がりは、鋭い目つきとの相乗効果で誰が見てもカッコ良いと思ったのではないでしょうか。
また、立ち合いにグッと踏み込んでの前まわしをつかんでの相撲に目覚め、番付を駆け上がりました。
北の湖を出し投げで破り、初優勝を遂げ大関に昇進した頃には日本中に世代交代を感じさせたでしょう。
とはいえ、千代の富士も横綱に昇進後は成績が芳しくない時期もありました。
30歳を迎えて、更に強くなり優勝を重ねたことも特筆すべき点です。
貴花田に敗れた場所(実際にはその翌日貴闘力に敗れた後)に引退を発表します。
“体力の限界、気力もなくなり引退することになりました”
千代の富士らしい名言だと思います。
千代の富士と言えば横綱土俵入りも魅力的でした。
高く上がる四股、見るものを引き付ける土俵入り。
全てがスーパースターだった力士でした。
61歳で亡くなられたことは残念でなりません。
大関 貴ノ花利彰
皆様ご存知の通り、元大関貴ノ花は三代目若乃花・貴乃花の兄弟横綱の父親であります。
また、初代若乃花の実弟としても知られています。
水泳では飯は食えない。
当時と今では環境が違うので本当にそうだったのかもしれません。
スポーツ選手が引退後にタレント化することは今ほどは多くはなかったのではないでしょうか。
そのため、兄が興した二子山部屋へ入門します。
兄は弟に格別に厳しく接したとされています。
そんな弟ですが番付を駆け上がるスピードはスムーズであり、角界のプリンスとして蔵前の星・輪島と並んで将来を嘱望されるようになります。
貴ノ花の特筆すべき点としてはその足腰のしぶとさにあるのは疑う余地もありません。
横綱北の富士との二場所続けての物議を醸す取り組み、以前ご紹介した輪島との水入り大相撲。
枚挙に暇がありません。
横綱大鵬との取り組みで足首を骨折する怪我を負うなどありましたが、輪島とともに大関へ昇進します。
北の湖を破り初優勝した時には舞った座布団で天井が見えなくなるほどで、想像もつかない熱狂ぶりだったそうです。
ですが、体重が思うように増えず、大関として二回幕内最高優勝を遂げますが横綱という大願成就は果たせませんでした。
その土俵にはどことなく悲壮感が漂っていた様に見えました。
引退後は藤島部屋→二子山部屋を興し、若貴兄弟横綱をはじめ、大関貴ノ浪など数々の名力士を育てました。
以上昭和の名力士第6弾でした!
続きます!