メンズファッションブログ 時々レトロゲームと相撲と映画と

セレクトショップ全盛時代ではありますが、敢えて百貨店ブランドの洋服に拘ってレビューしていくブログです。全体としては、三陽商会、ジョイックスコーポレーション、レナウン、オンワードがメインです!更に相撲やレトロゲームも取り扱っていきます。

大相撲春場所4日目まで!

大相撲春場所が開催されて、4日目まで終わりました。

 

プロの独身としては、稀勢の里の横綱昇進は賛成だったのですが、物の見事に予想通りになりました!

 

モンゴル三横綱は案の定全員が落ち目。

負けることは正直横綱だってあります。

でも、負けたにしても、その負け方ってありますよね。

力の衰えを感じずにはいられません!

 

逆に稀勢の里ですが、先場所千秋楽の白鵬戦の時の様にガチガチの悪い緊張感はなく、集中力を高められる良い集中力がありますね!

横綱になって更に強くなるタイプだと思ってたので、今の所予想通りです。

 

にしても、白鵬!

足の裏の皮がめくれると超絶痛いけど、横綱だったらそれくらい黙って乗り越えて欲しいです。

大相撲春場所 初日

新横綱稀勢の里登場の場所がいよいよ開幕しました。

 

正代、御嶽海、貴ノ岩、宇良などなど若手にも楽しみな力士が豊富にいますね。

 

4横綱土俵入りはやはり圧巻です。

 

日馬富士は最後に挙げる手を間違えていました。

 

肝心の取り組みですが、稀勢の里はいつもの様な緊張感はなく、新横綱であれば誰しもが感じる緊張とうまく向き合い、落ち着いていたと思います。

 

日馬富士と白鵬は今場所の前途多難を予感させます。

 

恐らく日馬富士は千秋楽までもたないんじゃないでしょうか。

 

白鵬も小手先のテクニックでごまかしていたここ2~3年でしたが、いよいよそれも通じなくなってきた印象です。

 

新横綱稀勢の里優勝なるか?

 

目が離せません!!

昭和の名力士10

昭和の名力士シリーズ最終回の第10弾です!

 

いよいよ最終回となりました。

 

何気にこのシリーズは更新するのは骨が折れました笑

 

今回も名脇役のご紹介です!

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関脇 出羽錦忠雄

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左半身の典型的な守りの相撲であり、長い相撲が得意でした。

解説者としても長らくお茶の間に愛されました。

 

関脇 大豪久照(若三杉)

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初代若三杉です。

幕内最高優勝を成し遂げています。

万歳三杉とも言われるほど、脇の甘い力士だったそうです。

 

関脇 福の花孝一

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フックの花と文字られるほど張り手は強烈でした。

横綱北の富士を一発KOしました。

 

関脇 明武谷力伸

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長身細身でソップ型の典型です。

起重機とも言われ、柏鵬との優勝決定巴戦にも出場しました。

 

関脇 藤ノ川豪人

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小さい体で土俵を駆け巡りました。

怪我のため若くして引退、伊勢ノ海部屋の師匠となりました。

 

関脇 海乃山勇

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海力山を名乗る予定が、番付には海乃山と記され、そのままそれを四股名としました。

けたぐりが得意でした。

 

関脇 陸奥嵐幸雄

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東北の暴れん坊です。

河津掛けや阿児を上げたまま吊り出すなどセオリー無視の取り口でした。

 

小結 龍虎勢朋

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アキレス腱断裂を乗り越え、三役復帰を果たしました。

引退後はテレビタレントとして活躍しました。

 

関脇 黒姫山秀男

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デゴイチの異名をとる激しいぶちかましが持ち味でした。

鉄砲柱に頭をガンガンぶつけている様は驚愕でした。

 

関脇 富士櫻栄守

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突き押しの正攻法の相撲は突貫小僧と呼ばれました。

 

関脇 麒麟児和春

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一度髷を落とすなど若い時代にはありましたが、突き押し相撲で上位に定着しました。

富士櫻との激しい突っ張り合いは壮絶でした。

 

関脇 鷲羽山佳和

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前出羽海出羽海部屋師匠です。

ちびっこギャングと呼ばれ、小兵旋風を巻き起こしました。

 

関脇 出羽の花義孝

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幕下付け出しでデビューした学生相撲出身力士です。

鉄の爪と呼ばれた怪力で知られました。

 

関脇 栃赤城雅男

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サーカス相撲と呼ばれ、逆とったりなどの珍手も見せました。

輪島・若乃花・三重ノ海の三横綱から一場所で金星を挙げるなど、上位でも力を見せました。

 

関脇 多賀竜昇司

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蔵前国技館最後の場所で平幕優勝を成し遂げました。

師匠の元柏戸・鏡山親方から優勝旗を渡されるシーンは語り草です。

 

以上昭和の名力士シリーズ第10弾でした!

 

今回で終了です。

また今までご紹介した名力士の中から名勝負をご紹介したいと思います!

 

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昭和の名力士9

昭和の名力士シリーズ第9弾です!

 

今回は栃若時代から柏鵬時代、北玉時代までの名脇役達です。

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関脇 時津山仁一

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立浪四天王の一人です。

平幕全勝優勝を成し遂げました。

孤児であったため、優勝した時には名乗り出が沢山あったそうです。

一時時津風部屋は身を寄せていたこともあり、四股名の由来となったそうです。

 

関脇 北の洋昇

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立浪四天王の一人です。

栃錦との一番では物言いがつき、行事である髭の伊之助の必死の抗議が勝負検査役につけられました。

NHK大相撲解説者としても長らくお茶の間に登場しました。

良くも悪くも今の北の富士山と違い無難な大人の解説だったように記憶しています。

 

関脇 安念山治(羽黒山)

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立浪四天王の一人です。

幕内最高優勝も経験しています。

師匠の四股名を継ぎ、羽黒山を襲名しました。

その後立浪部屋の師匠となりましたが、育てた弟子の横綱双羽黒との確執・廃業騒動は平成の横綱・大関昇進へ大きな影響を当てました。

 

関脇 房錦勝比古

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褐色の弾丸と呼ばれる激しい取り口が魅力でした。

若い頃の柏鵬を苦しめました。

 

関脇 玉乃海太三郎

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金色のまわしで平幕全勝優勝を成し遂げました。

荒法師の異名をもつ荒々しい相撲っぷりだったようです。

年寄り片男波として横綱玉の海を育てましたが、愛弟子が現役中に亡くなる悲しい事件がありました。

横綱が存命であれば、相撲史・片男波部屋の歴史そのものが今とは違ったかもしれません。

 

関脇 信夫山治貞

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りゃんこの信夫と呼ばれました。

いきなり双差し狙いで一気に出る相撲でした。

雑誌で横綱初代若乃花の立ち合いを研究し、勝利を挙げました。

 

関脇 鶴ヶ嶺昭男

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井筒三兄弟の父親です。

自身も井筒部屋伝統の双差し名人でありました。

師匠としても多数の関取を育てました。

 

小結 富士錦猛光

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平和ちゃんのニックネームで呼ばれ、温厚であったそうです。

平幕優勝の栄誉に輝きました。

先代高砂親方です。

 

小結 若浪順

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小さな体ながら怪力であり、吊りを得意としました。

胸毛がトレードマークです。

平幕優勝経験者です。

 

関脇 栃東知頼

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初代栃東です。

昭和47年、毎場所優勝者が変わったこの年、口火を切ったのが平幕栃東の優勝でした。

引退後は息子の二代目栃東を大関まで育てました。

 

関脇 金剛正裕

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ほら吹き金剛と呼ばれる自由奔放な発言が目立つ力士でした。

輪湖の強豪ひしめく時代に平幕優勝を遂げました。

引退後は名門二所ノ関部屋を継ぎますが、後継者に恵まれず部屋を閉じました。

(現在の二所ノ関部屋は、ルーツはもともとの二所ノ関部屋に帰りますが、親方自身は二所ノ関部屋には所属していません。)

 

関脇 長谷川勝敏

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琴錦以前の史上最強関脇と言えば長谷川です。

関脇で12勝3敗の幕内最高優勝を達成しますが、当時の大関陣の不振の煽りを受け、大関は叶いませんでした。

 

関脇 高見山大五郎

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ジェシー高見山です。

外国出身力士として史上初めて幕内最高優勝を達成しました。

長く現役を務め、横綱輪島の天敵として知られました。

引退後は東関部屋を興し、横綱曙や小結高見盛などを育てました。

 

以上昭和の名力士シリーズ第9弾でした!

 

次回最終回です!

 

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昭和の名力士8

昭和の名力士シリーズ第8弾です!

 

今回は輪湖時代から千代の富士時代までの大関たちです。

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大関 前の山太郎

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突っ張り得意の気迫ですもうをとる力士でした。

ですが、大関在位中に無気力相撲を指摘され大関陥落。

再起はなりませんでした。

高砂一門から破門される形で理事になりました。

 

大関 大受久晃

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土のにおいのする力士と言われるほどの愚直な押し相撲一徹の力士です。

史上初の三賞独占も果たしました。

一方で大関昇進後は急激に成績が下降、僅か5場所で大関から陥落しました。

陥落直後の場所は9勝6敗と惜しくも大関復帰ならず、最後は十枚目に陥落し引退されました。

 

大関 魁傑將晃

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次に述べます旭國との死闘は凄まじいものでした。

興味のある方はこちらをご覧ください。

 

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その土俵態度は極めて紳士的であり、休場は試合放棄の名台詞を残しています。

一度大関昇進するも陥落、その後10勝返り咲きは生かせませんでしたが、平幕優勝を契機に再度大関昇進し、その実力は証明されましたが、大関としては短命に終わりました。

年寄り放駒を襲名し、横綱大乃国を育て、自身は理事長も務めました。

 

大関 旭國斗雄

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小さい体ながら非常に粘りのある相撲をとりました。

膵炎の持病があり、度々入院生活を送っています。

ですが、土俵で死ねたら本望と土俵に上がり続けました。

一度14勝1敗の好成績を残しましたが、北の湖との全勝対決に敗れ、惜しくも幕内最高優勝は成し遂げられませんでした。

引退後は立浪部屋から独立し、大島部屋を興しました。

モンゴル力士をスカウトし、旭鷲山・旭天鵬を育て、今のモンゴルブームのきっかけを作りました。

 

大関 二代目増位山大志郎

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史上初の親子大関です。

当時は大関が貴ノ花一人でした。

相撲の番付として大関は必ず東西に一人ずついなくてはならないことになっています。

横綱は不在でも問題ありません。

その時は横綱が横綱大関として大関を兼ねます。

そんな時代背景もあり大関を掴み取りました。

イケメン力士、右内掛けは鮮やか、美術も二科展へ選ばれ、歌も上手と多芸な力士でした。

 

大関 琴風豪規

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中学生力士として入門しました。

膝の大けがにより幕下まで陥落しますがそれを乗り越え、大関を務めました。

がぶり寄りは今は同じ佐渡ヶ嶽部屋の後輩大関琴奨菊が得意としていますが、琴風の代名詞ががぶり寄りでした。

NHKサンデースポーツに解説として度々登場しています。

 

大関 北天佑勝彦

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均整のとれた体、大関昇進三場所は11勝12勝14勝と初優勝で昇進しました。

非常に充実した成績でした。

しかし、大関昇進後は成績が安定せず、横綱への期待は夢と消えました。

若くして亡くなられました。

 

大関 若島津六男

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大関として全勝優勝を遂げ、横綱昇進まったなしかと思われましたが、横綱は掴み取れませんでした。

その後は糖尿病もあり力が衰え、引退しました。

現在は年寄り松ヶ根から二所ノ関を襲名し、二所ノ関一門の総帥として活躍されておられます。

 

大関 朝潮太郎

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近畿大学から学生相撲出身で高砂部屋へ入門しました。

何度も大関昇進のチャンスを掴みながら生かせず、苦労の末大関へたどり着きます。

現在は高砂親方として一門の総帥の地位にあり、横綱朝青龍を育てました。

 

以上、昭和の名力士シリーズ第8弾でした!

 

続きます!

 

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昭和の名力士7

昭和の名力士シリーズ第7弾です!

 

横綱編が終わり、大関編へと突入して参ります。

戦後間もなく~柏鵬時代のの大関たちですね。

正直に言います。

そこまで詳しく知らない力士もいますので、(今までは自分の知識のみで書いていました)色々ネット参考にしてます_(_^_)_

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大関 増位山大志郎

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優勝2回を経験しています。

体調不良であっさり引退、体調回復に伴い現役復帰を希望するも否決されてしまいました。

三保ヶ関部屋を興し、横綱北の湖・大関増位山(実子)・大関北天佑など数々の名力士を育てました。

 

大関 松登しげ郎(しげは日に成)

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ぶちかましての押し相撲でした。

若乃花とともに大関に昇進しますが、後に陥落、平幕でも長く相撲を続けました。

 

大関 汐ノ海運右エ門

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全盛期が戦争と重なった不遇の力士時代だったようです。

それでも大関へ二度昇進するなど力のある所を見せました。

細身ながら怪力であったようです。

 

大関 大内山平吉

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身長が2mをこえる巨漢力士でした。

背が高く、ぶつかるため吊り屋根の高さが変えられたそうです。

双葉山の時津風部屋の力士でした。

 

大関 佐賀ノ花勝巳

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佐賀ノ花と言えば、現役時代よりも引退し二所ノ関親方となってからの方が印象月四のではないでしょうか。

横綱大鵬・大関大麒麟・関脇麒麟児・関脇金剛など数々の名力士を輩出しました。

漢書から弟子に四股名をつけていました。

 

大関 三根山隆司

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吉葉山・輝登と共に高島三羽烏として注目されていました。

親方として大関大受を育てました。

 

大関 名寄岩静男

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双葉山・羽黒山と並んで戦中戦後の立浪部屋を代表する力士の一人です。

大関に二度昇進するも二度とも陥落、その後に創設された三賞敢闘賞を受賞した時には涙を見せ、涙の敢闘賞として映画となりました。

立ち合いに相手にじらされると怒りを露わにし、“怒り金時”と呼ばれたそうです。

 

大関 琴ヶ濱貞雄

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琴ヶ濱と言えば、代名詞とも言われる左からの内掛けはそれも鮮やかなものでした。

まわしを切ることを覚えてからは更に切れ味を増したそうです。

ですが、軸足となる右足を痛めてからは成績が下降、横綱も期待されましたが果たせませんでした。

 

大関 豊山勝男

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東京農業大学から鳴り物入りで入門した学生相撲出身大関です。

横綱も当然期待されましたが反身のすもうのためか、横綱はおろか幕内最高優勝も果たせず引退しました。

引退後は年寄時津風として理事長も務めました。

 

大関 北葉山英俊

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173cmと小さい体ながら柏鵬両横綱によく検討し、優勝のカギを握る男と評されました。

自身も幕内最高優勝を遂げています。

相手の力を利用することが上手な力士だったそうです。

 

大関 栃光

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非常時真面目な土俵態度の力士で、待ったをしないことでも評価されました。

押し相撲の力士で栃ノ海と共に大関に昇進します。

幕内最高優勝は経験できませんでしたが、大関陥落が決まると潔く引退しました。

 

大関 若羽黒

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立浪四天王の一人です。

生家がクリーニング店であったことからドライ坊やと呼ばれました。

外出の際に羽織袴を着ず、アロハシャツや背広を着るなど異端児っぷりを発揮しました。

新大関優勝を成し遂げています。

 

大関 大麒麟

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くにゃくにゃした動きが特徴の土俵上でした。

実力はありましたが右腕骨折の影響もあり優勝へは届きませんでした。

うっちゃりもしばしば見せました。

大関 清國

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横綱大鵬と同期でしたが、清國が大関に昇進する頃には大鵬は引退も見えてきている頃でした。

手をつかない立ち合い全盛期にしっかり手をつくきれいな立ち合いを見せていました。

新大関優勝を果たしました。

 

以上、昭和の名力士シリーズ第7弾でした!

 

続きます!

 

 

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昭和の名力士6

昭和の名力士シリーズ第6弾です!

 

今回はその人気、その時代に与えた影響が別格に近い二人の力士です!

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第58代横綱 千代の富士貢

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昭和50年代中盤以降、ウルフフィーバーと呼ばれる一大ブームを巻き起こしました。

ウルフのニックネームは師匠である元横綱北の富士が命名されたそうです。

千代の富士は骨格の作りとして型の関節が外れやすい、脱臼しやすい体質だったそうです。

若いころは体は細く小さかったのですが、相手を引っ張り込んで投げを打つ、大きな相撲をとっていました。

そんな体格に似合わない相撲が脱臼の一因にもなったとされています。

その脱臼を克服するため行った、開眼したことがあります。

一つは千代の富士の代名詞ともいえる肩の筋肉ですね。

力士とは思えないようなあの三角筋から上腕二頭筋・上腕三頭筋の盛り上がりは、鋭い目つきとの相乗効果で誰が見てもカッコ良いと思ったのではないでしょうか。

また、立ち合いにグッと踏み込んでの前まわしをつかんでの相撲に目覚め、番付を駆け上がりました。

北の湖を出し投げで破り、初優勝を遂げ大関に昇進した頃には日本中に世代交代を感じさせたでしょう。

とはいえ、千代の富士も横綱に昇進後は成績が芳しくない時期もありました。

30歳を迎えて、更に強くなり優勝を重ねたことも特筆すべき点です。

貴花田に敗れた場所(実際にはその翌日貴闘力に敗れた後)に引退を発表します。

“体力の限界、気力もなくなり引退することになりました”

千代の富士らしい名言だと思います。

千代の富士と言えば横綱土俵入りも魅力的でした。

高く上がる四股、見るものを引き付ける土俵入り。

全てがスーパースターだった力士でした。

61歳で亡くなられたことは残念でなりません。

 

大関 貴ノ花利彰

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皆様ご存知の通り、元大関貴ノ花は三代目若乃花・貴乃花の兄弟横綱の父親であります。

また、初代若乃花の実弟としても知られています。

水泳では飯は食えない。

当時と今では環境が違うので本当にそうだったのかもしれません。

スポーツ選手が引退後にタレント化することは今ほどは多くはなかったのではないでしょうか。

そのため、兄が興した二子山部屋へ入門します。

兄は弟に格別に厳しく接したとされています。

そんな弟ですが番付を駆け上がるスピードはスムーズであり、角界のプリンスとして蔵前の星・輪島と並んで将来を嘱望されるようになります。

貴ノ花の特筆すべき点としてはその足腰のしぶとさにあるのは疑う余地もありません。

横綱北の富士との二場所続けての物議を醸す取り組み、以前ご紹介した輪島との水入り大相撲。

枚挙に暇がありません。

 

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 横綱大鵬との取り組みで足首を骨折する怪我を負うなどありましたが、輪島とともに大関へ昇進します。

北の湖を破り初優勝した時には舞った座布団で天井が見えなくなるほどで、想像もつかない熱狂ぶりだったそうです。

ですが、体重が思うように増えず、大関として二回幕内最高優勝を遂げますが横綱という大願成就は果たせませんでした。

その土俵にはどことなく悲壮感が漂っていた様に見えました。

引退後は藤島部屋→二子山部屋を興し、若貴兄弟横綱をはじめ、大関貴ノ浪など数々の名力士を育てました。

 

以上昭和の名力士第6弾でした!

 

続きます!

 

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昭和の名力士5

昭和の名力士シリーズ第5弾です!

 

今回ご紹介する力士は主に昭和50年前後を彩った輪湖時代の5人の横綱たちです。

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第54代横綱 輪島大士

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蔵前の星と言われ、日本大学から鳴り物入りで角界入りしました。

その期待に違わず、スピード出世します。

一時期は大関貴ノ花とともに貴輪時代と言われたこともありました。

黄金の左と呼ばれる左下手からの投げが特徴でしたが、実際は右のおっつけが強く、それによって浮いた体を下手投げで仕留めるという取り口だったようです。

また元来は右四つであったこともあり、晩年には右四つでの取り組みを見せることもありました。

また、以前ご紹介しました貴ノ花との大関をかけた一番からも分かるように、尋常ではない足腰の強さも兼ね備えていました。

 

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黄金のまわしも輪島の代名詞の一つですね。

朝青龍や白鵬も黄金の締め込みを使ったことがありますが、輪島の様にはしっくりこなかったように思います。

北の湖とともに輪湖時代を築きました。

学生相撲出身、本名がしこ名というのは2017年2月現在ただ一人です。

名門花籠部屋を継ぎましたが金銭問題で廃業、花籠部屋が廃止となったのは残念でした。

 

第55代横綱 北の湖敏満

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昭和三大横綱の一人、北の湖です。

その攻め入った時の強さは誰にも止められず、憎たらしいほど強いと揶揄されていました。

現在も史上最年少横綱の記録を持っています。

また、自身の取り組みの詳細を記憶していることでも有名でした。

その記憶力があるから、どんな力士に対しても対策がしっかり考えられたのでしょうか。

晩年は怪我にも悩まされましたが、最期の優勝を全勝優勝で締めくくっています。

これは本人にとっても感慨深いものだったようです。

史上最長の横綱在位63場所の記録保持者でもあります。

一代年寄北の湖として関取を何人も育て、理事長も務められていましたが、理事長在任中に亡くなられたことは残念でなりません。

 

第56代横綱 二代目 若乃花幹士

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第45代横綱若乃花の二子山部屋から誕生した最初の横綱です。

大関までは若三杉を名乗っていました。

端正な顔立ちで女性ファンも多かったようです。

柔軟な足腰の持ち主であり、有名な取り組みですが、鷲羽山を播磨投げで破った一番はその体の柔らかさを十分に発揮しました。

同時代に輪島・北の湖という歴代でも強豪横綱に挟まれ、幕内最高優勝は4回にとどま留まりましたが、成績も安定しており、実力はあったと思います。

引退後は間垣部屋を興しましたが脳出血で体を壊し、部屋を閉じました。

 

第57代横綱 三重ノ海剛司

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琴桜同様、遅咲きの横綱です。

その道のりは険しいものでした。

関脇での初優勝を契機に大関へ昇進しますが、その後陥落します。

関脇で10勝を挙げ、一場所で大関復帰を果たしますが、その後も成績は安定しませんでした。

徐々に成績が上向き、昭和54年には一気に開眼し横綱へ昇進します。

その直前三場所は10勝、13章、14章で優勝はありませんでした。

現在ならばもう一場所見ようという流れになったかもしれません。

しかし、新横綱の場所は11勝どまりでしたが、その後14勝・全勝と連覇を成し遂げます。

翌年には引退となりますが、一瞬でも時代を作れる力があったわけで、直前三場所に優勝がないから昇進できないという論調が今もしあればそれは必ずしも絶対的な基準にしてはいけませんね。

引退後は武蔵川部屋を興し、横綱武蔵丸や大関武双山を育てるなど名伯楽振りでした。

理事長も務められました。

 

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今稀勢の里が横綱へ昇進し、4横綱として話題を集めていますが、輪島・北の湖・若乃花・三重ノ海も4横綱時代でした。

特に昭和54年~55年は優勝をこの4横綱で独占、しかも全員が一年に一回は優勝するという横綱の時代でした。

なかなか4人の横綱が全員好成績を残すというのは難しいのですが、この時の4横綱時代が史上最も充実した時代だったかもしれません。

 

第59代横綱 隆の里俊英

 

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ポパイと形容された僧帽筋の盛り上がりが特徴の横綱でした。

若いころに糖尿病を患い、出世が鈍りますが、糖尿病をコントロールし、見事横綱までたどり着きます。

隆の里の不知火型土俵入りはその力感がテレビ越しにもひしひしと伝わるものでとてもカッコ良いものでした。

 

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千代の富士の天敵として知られ、全盛期の千代の富士と互角に渡り合った数少ない力士です。

新横綱全勝優勝の偉業は優勝記録が残っている範囲では双葉山と隆の里だけではないでしょうか。

稀勢の里の大成を見ることなくお亡くなりになられましたが、天国で喜ばれていることでしょう。

 

以上、昭和の名力士シリーズ第5弾でした!

 

続きます!

 

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昭和の名力士4

昭和の名力士シリーズ第4弾です!

 

今回は柏鵬時代から北玉時代の5人の横綱が取り上げられています。

各々に魅力溢れる横綱でした。

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第49代横綱 栃ノ海 晃嘉

 

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春日野部屋伝統芸能と言っても過言ではない相撲が上手い力士でした。

身体はとても小さく、全盛期でも体重は110kgしかなかったそうです。

とても向こうっ気が強かったとのことで、柏鵬の様な大型力士にも真っ向勝負を挑み続けました。

横綱昇進後、一度幕内最高優勝を遂げますが、その後は怪我があり低迷、3場所連続8勝7敗と

横綱としては苦しい土俵が続きました。

引退後は長らく春日野部屋付きの親方でしたが、栃錦の跡を継いで名門春日野部屋の師匠となりました。

存命横綱としては最古の横綱となります。

 

第50代横綱 佐田の山 晋松

 

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名門出羽海部屋の力士です。

当時は柏戸・大鵬という大型二大力士が土俵に君臨しており、この壁を破ることは容易なことではありませんでした。

身長はありますが、スラっとしたいわゆるソップ型の力士で、突っ張りを得意としていました。

平幕優勝を遂げた力士として、初めて横綱まで登り詰めた力士です。

闘志みなぎる土俵姿でした。

横綱として二場所連続優勝をとげた次の場所に潔く引退し、出羽海部屋の師匠となりました。

後に、相撲協会理事長も務めました。

 

第51代横綱 玉の海 正洋

 

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戦後の相撲歴史の中で、最も悲しいお話の一つです。

現役横綱として、最も充実した全盛期にまさかの現役死となってしまいました。

柏鵬の次の時代を担う力士として、北の富士と横綱へ同時昇進します。

成績としては若干物足りない面もありましたが、有識者からは二場所連続優勝の北の富士より期待される声もあり、実際成績は北の富士のそれを凌駕するものでした。

虫垂炎手術後の肺塞栓症のために亡くなられました。

御存命であればどんな時代、どんな歴史を紡いだのか、残念でなりません。

 

第52代横綱 北の富士 勝昭

 

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玉の海とともに横綱へ昇進しました。

成績にはとてもムラがあり、全勝優勝の次に8勝、そしてまた全勝優勝を成し遂げたこともあります。

現在はNHK大相撲解説者としてお馴染みですね。

いちお茶の間の意見の様で、時折爆弾発言⁉️してしまうそのお話は聞いていて飽きることがありません。

玉の海の死後は人が変わった様に衰えてしまいました。

北玉時代は短かったですが、大鵬からその主役のざを奪い取った輝いた時代でもありました。

 

第53代横綱 琴櫻 傑將

 

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桜が満開になるのにとても時間がかかった、遅咲きの横綱です。

大関在位が32場所でした。

そのぶちかましたの押し相撲は破壊力満点でした。

横綱としての在位はとても短かったですが、一花咲かせた土俵人生には価値があると思います。

また、引退後は佐渡ヶ嶽部屋の師匠としてたくさんの関取、多くの名力士を育て上げました。

 

以上、昭和の名力士第4弾でした!

続きます!

 

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