昭和の名力士5
昭和の名力士シリーズ第5弾です!
今回ご紹介する力士は主に昭和50年前後を彩った輪湖時代の5人の横綱たちです。
第54代横綱 輪島大士
蔵前の星と言われ、日本大学から鳴り物入りで角界入りしました。
その期待に違わず、スピード出世します。
一時期は大関貴ノ花とともに貴輪時代と言われたこともありました。
黄金の左と呼ばれる左下手からの投げが特徴でしたが、実際は右のおっつけが強く、それによって浮いた体を下手投げで仕留めるという取り口だったようです。
また元来は右四つであったこともあり、晩年には右四つでの取り組みを見せることもありました。
また、以前ご紹介しました貴ノ花との大関をかけた一番からも分かるように、尋常ではない足腰の強さも兼ね備えていました。
黄金のまわしも輪島の代名詞の一つですね。
朝青龍や白鵬も黄金の締め込みを使ったことがありますが、輪島の様にはしっくりこなかったように思います。
北の湖とともに輪湖時代を築きました。
学生相撲出身、本名がしこ名というのは2017年2月現在ただ一人です。
名門花籠部屋を継ぎましたが金銭問題で廃業、花籠部屋が廃止となったのは残念でした。
第55代横綱 北の湖敏満
昭和三大横綱の一人、北の湖です。
その攻め入った時の強さは誰にも止められず、憎たらしいほど強いと揶揄されていました。
現在も史上最年少横綱の記録を持っています。
また、自身の取り組みの詳細を記憶していることでも有名でした。
その記憶力があるから、どんな力士に対しても対策がしっかり考えられたのでしょうか。
晩年は怪我にも悩まされましたが、最期の優勝を全勝優勝で締めくくっています。
これは本人にとっても感慨深いものだったようです。
史上最長の横綱在位63場所の記録保持者でもあります。
一代年寄北の湖として関取を何人も育て、理事長も務められていましたが、理事長在任中に亡くなられたことは残念でなりません。
第56代横綱 二代目 若乃花幹士
第45代横綱若乃花の二子山部屋から誕生した最初の横綱です。
大関までは若三杉を名乗っていました。
端正な顔立ちで女性ファンも多かったようです。
柔軟な足腰の持ち主であり、有名な取り組みですが、鷲羽山を播磨投げで破った一番はその体の柔らかさを十分に発揮しました。
同時代に輪島・北の湖という歴代でも強豪横綱に挟まれ、幕内最高優勝は4回にとどま留まりましたが、成績も安定しており、実力はあったと思います。
引退後は間垣部屋を興しましたが脳出血で体を壊し、部屋を閉じました。
第57代横綱 三重ノ海剛司
琴桜同様、遅咲きの横綱です。
その道のりは険しいものでした。
関脇での初優勝を契機に大関へ昇進しますが、その後陥落します。
関脇で10勝を挙げ、一場所で大関復帰を果たしますが、その後も成績は安定しませんでした。
徐々に成績が上向き、昭和54年には一気に開眼し横綱へ昇進します。
その直前三場所は10勝、13章、14章で優勝はありませんでした。
現在ならばもう一場所見ようという流れになったかもしれません。
しかし、新横綱の場所は11勝どまりでしたが、その後14勝・全勝と連覇を成し遂げます。
翌年には引退となりますが、一瞬でも時代を作れる力があったわけで、直前三場所に優勝がないから昇進できないという論調が今もしあればそれは必ずしも絶対的な基準にしてはいけませんね。
引退後は武蔵川部屋を興し、横綱武蔵丸や大関武双山を育てるなど名伯楽振りでした。
理事長も務められました。
今稀勢の里が横綱へ昇進し、4横綱として話題を集めていますが、輪島・北の湖・若乃花・三重ノ海も4横綱時代でした。
特に昭和54年~55年は優勝をこの4横綱で独占、しかも全員が一年に一回は優勝するという横綱の時代でした。
なかなか4人の横綱が全員好成績を残すというのは難しいのですが、この時の4横綱時代が史上最も充実した時代だったかもしれません。
第59代横綱 隆の里俊英
ポパイと形容された僧帽筋の盛り上がりが特徴の横綱でした。
若いころに糖尿病を患い、出世が鈍りますが、糖尿病をコントロールし、見事横綱までたどり着きます。
隆の里の不知火型土俵入りはその力感がテレビ越しにもひしひしと伝わるものでとてもカッコ良いものでした。
千代の富士の天敵として知られ、全盛期の千代の富士と互角に渡り合った数少ない力士です。
新横綱全勝優勝の偉業は優勝記録が残っている範囲では双葉山と隆の里だけではないでしょうか。
稀勢の里の大成を見ることなくお亡くなりになられましたが、天国で喜ばれていることでしょう。
以上、昭和の名力士シリーズ第5弾でした!
続きます!