昭和の名力士9
昭和の名力士シリーズ第9弾です!
今回は栃若時代から柏鵬時代、北玉時代までの名脇役達です。
- 関脇 時津山仁一
- 関脇 北の洋昇
- 関脇 安念山治(羽黒山)
- 関脇 房錦勝比古
- 関脇 玉乃海太三郎
- 関脇 信夫山治貞
- 関脇 鶴ヶ嶺昭男
- 小結 富士錦猛光
- 小結 若浪順
- 関脇 栃東知頼
- 関脇 金剛正裕
- 関脇 長谷川勝敏
- 関脇 高見山大五郎
関脇 時津山仁一
立浪四天王の一人です。
平幕全勝優勝を成し遂げました。
孤児であったため、優勝した時には名乗り出が沢山あったそうです。
一時時津風部屋は身を寄せていたこともあり、四股名の由来となったそうです。
関脇 北の洋昇
立浪四天王の一人です。
栃錦との一番では物言いがつき、行事である髭の伊之助の必死の抗議が勝負検査役につけられました。
NHK大相撲解説者としても長らくお茶の間に登場しました。
良くも悪くも今の北の富士山と違い無難な大人の解説だったように記憶しています。
関脇 安念山治(羽黒山)
立浪四天王の一人です。
幕内最高優勝も経験しています。
師匠の四股名を継ぎ、羽黒山を襲名しました。
その後立浪部屋の師匠となりましたが、育てた弟子の横綱双羽黒との確執・廃業騒動は平成の横綱・大関昇進へ大きな影響を当てました。
関脇 房錦勝比古
褐色の弾丸と呼ばれる激しい取り口が魅力でした。
若い頃の柏鵬を苦しめました。
関脇 玉乃海太三郎
金色のまわしで平幕全勝優勝を成し遂げました。
荒法師の異名をもつ荒々しい相撲っぷりだったようです。
年寄り片男波として横綱玉の海を育てましたが、愛弟子が現役中に亡くなる悲しい事件がありました。
横綱が存命であれば、相撲史・片男波部屋の歴史そのものが今とは違ったかもしれません。
関脇 信夫山治貞
りゃんこの信夫と呼ばれました。
いきなり双差し狙いで一気に出る相撲でした。
雑誌で横綱初代若乃花の立ち合いを研究し、勝利を挙げました。
関脇 鶴ヶ嶺昭男
井筒三兄弟の父親です。
自身も井筒部屋伝統の双差し名人でありました。
師匠としても多数の関取を育てました。
小結 富士錦猛光
平和ちゃんのニックネームで呼ばれ、温厚であったそうです。
平幕優勝の栄誉に輝きました。
先代高砂親方です。
小結 若浪順
小さな体ながら怪力であり、吊りを得意としました。
胸毛がトレードマークです。
平幕優勝経験者です。
関脇 栃東知頼
初代栃東です。
昭和47年、毎場所優勝者が変わったこの年、口火を切ったのが平幕栃東の優勝でした。
引退後は息子の二代目栃東を大関まで育てました。
関脇 金剛正裕
ほら吹き金剛と呼ばれる自由奔放な発言が目立つ力士でした。
輪湖の強豪ひしめく時代に平幕優勝を遂げました。
引退後は名門二所ノ関部屋を継ぎますが、後継者に恵まれず部屋を閉じました。
(現在の二所ノ関部屋は、ルーツはもともとの二所ノ関部屋に帰りますが、親方自身は二所ノ関部屋には所属していません。)
関脇 長谷川勝敏
琴錦以前の史上最強関脇と言えば長谷川です。
関脇で12勝3敗の幕内最高優勝を達成しますが、当時の大関陣の不振の煽りを受け、大関は叶いませんでした。
関脇 高見山大五郎
ジェシー高見山です。
外国出身力士として史上初めて幕内最高優勝を達成しました。
長く現役を務め、横綱輪島の天敵として知られました。
引退後は東関部屋を興し、横綱曙や小結高見盛などを育てました。
以上昭和の名力士シリーズ第9弾でした!
次回最終回です!