伝説の名勝負その1 昭和47年9月場所千秋楽 関脇貴ノ花 対 関脇輪島
皆さんご存知のように大相撲の歴史はとても古いです。
映像に残っているのは明治の頃からですが、数々の名勝負が生まれてきています。
さて、相撲も取り上げているブログですので、そんな名勝負を定期的に取り上げていきたいと思います。
双葉山、栃若、柏鵬、北玉、輪湖、千代の富士、曙貴、朝青龍、白鵬と時代が移り変わってきました。
そんな中、僕が取り上げたのは
昭和47年9月場所千秋楽 関脇貴ノ花 対 関脇輪島
です。
玉の海の急死により終わった北玉時代。
その後を担う精鋭たちがしのぎを削った時代の名勝負です。
you tubeより拝借いたしました。
当時関脇同士の一番です。
この場所後二人は同時に大関へ昇進します。
二人ともソップ型の代名詞の様な力士ですので、細身ではありますが、今ではこんなに細い力士が大関を張っているなんて考えられませんよね。
がっぷりの左四つになったらもう大熱戦です。
どちらも信じられないくらいの足腰のしぶとさです。
この時代は立ち合いで手をつかないので胸と胸で当たり、四つに組むことが多く、こうなることがよくありました。恐らく、体重は両社ともに110kg前後だと思います。
今の様にしっかり手をついて頭で当たるとどうしても押し相撲全盛になってしまうので、こういった取り組みを期待することは体格だけの問題ではなく、難しいかもしれません。160~170kg同士の戦いではこんな風に戦うのは厳しいでしょう。
吊り合い、寄り合い、残し合い、、、。
輪島が最後に右を巻き替えて双差しとなり寄り切るわけですが、取り組みが終わった後の両社の精も根も尽き果てたあの姿が忘れられません。
少し話が逸れますが、もしかすると今は新弟子検査に体重の上限をつけても良いのかもしれません。
大卒は130kg、高卒は110kg、中卒は90kgの様に。
重量や幕下で下がってきた力士ならまだしも、まだまだ体が出来上がっていないのに、図体ばかりでかい力士が多いと思いますもの。
貴ノ花ももうすでに亡くなられ、輪島も大病を患ったと報道されていました。
時代を彩った名力士たちが思い出になってしまうなんて、本当に哀愁を感じます。