横綱土俵入り型の決め方について
おはようございます😃
相撲って、日本人なら誰でも知っているスポーツですが、その実詳しい内容を知らない人の方が多いのではないでしょうか?
今の幕内力士を10人挙げて下さいと言われ、言える人はそうそういないでしょう。
さて、今の幕内力士について語るのは後ほどとして、今回は横綱土俵入りの型について決めたいと思います。
型は雲竜型と不知火型に分けられます。
大きく違う点は二つ。
一つ目はせり上がりの時の手の位置。
雲竜型はせり上がりの際に右手を前に、左手を胸に当て、守りの型といわれています。
一方不知火型は両手を前に広げ、攻撃の型と言われています。
で、す、が!!
これは昭和初期に後付けでされた説明なんですね。また、明治や大正時代以前にはこの雲竜型と不知火型が逆だったともされています。
どちらをどう呼ぶか、またその格好にどんな意味があるかを正確に決めることはもはや無理です。
この二つのパターンがあると思ってしまいましょう😅
もう一つは、後ろの結び目。
雲竜型は輪っかが一つですが、不知火型はそれが二つになっています。
これが見た目で分かりやすい違いです。
その他の所作は一門や横綱によって違う部分があります。
雲竜型だから、不知火型だからと言ってみんながみんな同じではないのです。
逆に、せり上がりの部分以外雲竜型も不知火型もあまり変わらないことだってあります。
そして、この二つの型どちらを選ぶか、これは一門によってほぼきまっています。
相撲界には今一門はこの様になっています。
高砂一門、出羽海一門、二所ノ関一門、伊勢ヶ濱一門、時津風一門、貴乃花一門。
まずは高砂一門。
ここは、土俵入りは今まで全員が雲竜型を選択しています。それを決めたのは先先代高砂親方の元横綱朝潮でしょうか。
続いて出羽海一門。
角聖常陸山がそのルーツになるので、常陸山が雲竜型ですので、ここも全員雲竜型になります。
二所ノ関一門は、雲竜型も不知火型も両方の横綱がいます。今でこそ出羽海一門は分家独立がけっこうありますが、その昔は禁止されていました。一方二所ノ関一門は積極的に分家独立を勧めたのです。その様な形ですので、そういう意味での縛りは少ないのではないでしょうか?なので、土俵入りの型もまちまちです。
伊勢ヶ濱一門は、照國は雲竜型でしたが、その後吉葉山が不知火型を選択してそれを踏襲しております。
時津風一門は双葉山がその源流です。双葉山が雲竜型ですのでこの一門から横綱が出たら、必ず雲竜型です。
今回の横綱になる稀勢の里は二所ノ関一門です。隆の里が不知火型ですが、絶対的な縛りではないわけです。
以上、横綱土俵入りの型決めについてでした!